仕事人K

Yちゃん

10年以上東京で頑張っていたKが寂しくなった上町に戻ってきます。

考えてみればKの苦労も大変なものだったね。
苦学したカナダから帰って派遣社員生活が始まって。
何のために勉強したのか分からない状態が続いて・・・

それから週末に上京して翻訳通訳の学校に通い、
卒業を控えて就職活動をしたら、住所が甲府のままでは話にならないことが分かり、
先の見通しも無いまま東京に出て、本格的に仕事をあたってみると
正社員の経験のない人は雇えないと言われ・・・

2ヶ月ほどのブランクを経て、
たまたま母校で募集があったのが幸いしてやっと面接にこぎつけたら、
肝心の教授に
「僕はそいうのは嫌なんだが、大学が僕にひとをつけるというんだよ。
君は資格をずいぶん持ってるね。資格さえあればいいってモンじゃないよ。」
と意地悪を言われ、
でも結局その偉い教授にはずいぶん可愛がっていただき
あとで、「あの時は意地悪言ったね。」と謝ってまでいただき
スペインにまで連れて行っていただき・・・

その後大学の組織改革で部署を移り、そこでも派遣社員としてお局となり
また法律が変わって、派遣社員を長く雇ってはいけないことになったため
嘱託として残ってくれないかと言われ
そうなると仕事量はますます増える上にお給料は下がるため辞めることにすると・・・

とっても良い人だった上司のYさんからは
「もう歳だし、就職先は無いんじゃないの?ここに残れば?」と引き止められ・・・

ところが、幸い外資企業で正社員として採用され、
晴れて、初めて、正社員生活が始まったのでした。

ボーナスもあるしね。
派遣社員は正社員以上の仕事をしても正当に評価されなかったから
Kはこのアメリカ企業で本当に頑張って働きましたよ。

はじめのうちは仕事をしてもみんな上司の手柄になっちゃって歯がゆい思いをしたけど、
最後には社長や会長の近くでお仕事が出来るようになり
皆さんのお仕事の「最終処理場」となって働いたせいか
辞めるときにはほんとにみんなが惜しんでくれたって。

最後の仕事としては
末端の人の仕事やアイディアが一番上の人にも見えるように
エクセルでシステムを作ったんだって。
あまり利用してもらえなかったんだけど、辞めるときのスピーチを聞いたせいか
Kが辞めてからみんなそのシステムを使い始めたんですって。
良い仕事したよね。

スピーチというのがバイリンガルで珍しかったらしいです。
だいたい社内の公のスピーチでは外国人への気配りからか
日本人でもみんな英語で済ますんだけど、Kは前からそのことに違和感があって。
圧倒的に日本人社員が多いんだからと
まず日本語でご挨拶をし、それから英語のご挨拶をしたんだって。
辞めることになったいきさつとか、
社員として働かせていただいて心から感謝していることとか
皆さんにお世話になったこととか、・・・拍手と笑いを沢山頂いたようです。

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Kには仕事が良く似合うね。
やっぱりKはしばらく甲府で勉強したら、また東京に戻る方がいいんじゃないかと
私は考えてます。田舎にはKの仕事はないでしょう?
また、私が追い出すかもよ。
そしたら、またここでYとふたりで暮らそうね。
Yがいつも一緒だから私は全然寂しくないよ。
困ったときはKaiもCkちゃんも側にいるしね。

                                      ままより


追伸:
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              ↑この花はJさんからだって。
               ちょっと古くなっていたから切り戻して活けなおしました。
by maafii | 2008-11-11 12:45 | へ~ そうなんだぁ
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